Ryu-0001の略歴
1989年。名古屋市で生まれました。
幼少期、周りの子供より話し始めるのが遅く親に心配される。唯一話せたのが「5」であり、親から「1000-995は?」の問いにも「5」と答えて褒められていました。
大きな飴をのどに詰まらせて死にかけたり、三保の松原で波にさらわれて死にかけたり、ご両親には大変お世話になっております。
1999年。おとうに連れられて、F-1を観戦する。B’zの松本孝弘が国歌斉唱?でギターを君が代で弾いていたそうだが覚えていない。初めてのF-1は駐車場代が異常な値段でした。
おとうにはよく長久手にあったカーミュージアム「ZAZ」に連れて行ってもらっていた。
2008年。専門学校入学と同時に車の免許を取る。三菱のミラージュディンゴを買うもすぐ廃車にしてしまう。
夏休みに中免→大型自動二輪を取る。教習所の教員は面白い方で、「Ryu_0001君、NINJAに乗ってもいいが、車からの忍者になるな」とバイク大喜利をかまして頂きました。
2010年。専門学校を卒業すると同時に就職するも1年で辞めてしまう。やりたいことは何か考えて就職していなかったので辞めてしまう。車が好きなので転職先はホイールメーカーになった。その当時から今でも乗っているのが、MINI。シティハンターの主人公が乗っているROVERではなくBMWのです。
2016年。絵も下手だし、美術の内申点は「3」以下のそんな自分を芸術の世界に連れ出してくれたのは「カメラ」でした。カメラのいろはも知らない自分が説明書もろくに読まず、マニュアルでずっと撮っていました。これがいい選択であったかはわかりませんが、自分で1から10まで操りたい、そんな自分に合っていたと思います。勿論今でもマニュアルで撮っています。絞り・SS優先モードは全然使ったことがないので、今更ながら勉強中です。初カメラはEOS 8000Dのダブルズームキット
2019年。イラレを触る。とても楽しく。色んな人や企業の制作物を見たりするようになり自分も作ったりして自己満足に浸っている。そこで自分のやりたいことをもっと具現化するために旗揚げしたのが「クリエイトヤマビコ」である。
人生の中でいかに自分を表現するか。大多数の人が気付いているし、それを求めていると思います。長い、短い、限りある人生の中でゆるくクリエイトしていこうと思いました。
そして今は、5D3を手に入れてフルサイズ機を楽しんでいます。